「真の解決」−さばきではなく愛で− 要約 第2コリント2章5―13節2021.12/5 港キリスト教会 

   「真の解決」−さばきではなく愛で−  

            第2コリント2章5―13節 

  コリントの教会内において罪を犯した人に対する懲罰の目的と意義について学びましょう。

 第1の目的は、懲罰が不公平なものとならないために(6節)

 この世において、不公平ではと思うことがしばしばある。しかし、教会は不公平や不平等があってはいけない。なぜなら、神にはえこひいきはないからである(使徒10章34、35節)。

 私たちのフイルターには偏見、誤解、勘違い、間違いといった曇りがあるために、聖書に基づいた戒規に従うことによって、不公平な懲罰から守られる。

 

 第2の目的は、罰することが主たる目的でなく、戒規を通して悔い改めと回復することを目的とする(7節)

 教会は懲罰によって、その人の悔い改めや、立ち直り(交わりの復帰)を困難なものとしてはいけない。むしろ、その人が悔い改めて、立ち返るために祈り、援助すべきである。また、懲罰を執行することで、加害者に対する被害者の復讐心が少しでも和らぐためでもある。

 

 第3の目的は、懲罰の背後にある神の愛を知るためである(8節)

 ある注解者は『愛から出ていない戒規は、正しい戒規とは言えない。愛は律法を全うするものだからです。』と言った。

 教会が懲罰により人を罪に定め、さばくことを第一の目的としない背景にあるのは、相互が神の愛を知るためである。懲罰の基であり諸刃の剣でもある聖書は、人を傷つけるためではなく、むしろ癒され、再び新しいいのちを得るためにある。

 懲罰が行使された最終ゴールは、和解、赦し、回復、癒しという相互による神の愛の体験である。