「朽ちることのない資産」
第一ペテロ1章1―5節
この手紙の背景ですが、執筆年代は紀元63か64年頃、執筆の場所はローマと思われます。次に執筆動機は、ローマ帝国によるキリスト者への迫害の中での手紙による励ましであります。
けさはこの箇所から「朽ちることのない資産」というテーマで学びましょう。
1節は、この手紙の著者と読者であります。著者のペテロ(ギ)はイエスに付けられたニックネーム。ペテロの元の名はシモン(シメオン=神は聞かれた=ヘブル語でシャーマ-)で、シモンのアラム語がケパ、ケパのギリシャ語がペテロで意味は岩です。
手紙の宛先は、迫害によって各地方に散らばった人々たちです(「散って寄留している」1節)。
長い歴史の中で、ユダヤ人は迫害によって国を追われて、資産や仕事までも失うという辛い経験をしたのです。
彼らにとって、世の地位や名誉や財産が恒久的な保証とはならなかったのです。
しかし、まことの神様を信じ、天の御国を永遠の住まいは恒久的な保証であり、その様な身分として神様に選ばれた人々がクリスチャン(ユダヤ人・異邦人)ではないでしょうか。
まず2節から神の選びとはどの様なものかについてから見ていきましょう。
Ⅰ神の予知による選び
それは、私たちに選ばれる価値があるからではなく、神による一方的な憐れみと恵みによる選びであります。
ところが、神の予知は隠されており(奥義=ミステリー)、イエス・キリストを信じる者だけが得られる特権であります。
Ⅱ御霊のきよめによる選び
御霊の働きは私たちクリスチャンにとって非常に重要なものです。「私は自分自身の理性や力によって主イエス・キリストを信じることはできないと信じている。」とはルターの言葉であります。
では、次に聖霊(御霊)の3つの働きについてみましょう。
❶聖書を理解するための助け手
第二テモテ3章16節で「聖書はすべて神の霊感による」と教え、ヨハネ14章26節で「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」とのイエスの教えであります。
❷聖霊は、私たちの罪を悟らせ(参照:ヨハネ16章8節)、それによってキリストの十字架による罪の赦しを求めるようになります。
❸聖霊は罪が赦されたこと、またイエ
スが神の御子であり、救い主であることを確信させてくれるのです。
『聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。』(第一コリント12章3節)
Ⅲ選びの目的
それは、神に従う人生、そして血の注ぎを受けることです。
旧約時代のユダヤ人は生贄による動物の血を注ぐことで、神と民との服従関係のしるしとして見なされたのです(和解)。新約時代の私たちにとっては、キリストの十字架で流された血は、私たちの信仰によって神との新しい関係の中に招き入れられ、一生涯において罪なき者とみなされ、神に従うという契約関係を結んだということです。
とはいえ、神は私たちを無理矢理に従わせることはなさいません。しかし、神の大きな愛と赦しのゆえに(愛の契約関係のゆえに)、喜んで(主体的に)従う(応答)ことを望んでおられるのです。
けさのまとめとして3節〜5節を見ましょう。まず3節は神への賛美です。
神の救いに預かった者が神をほめたたえるというのはごく自然なことです。それは、毎日の生活の中でいつでも賛美し、主の御名をほめたたえましょう。
日曜日の礼拝の時だけという人もおられるかも分かりません。でも、賛美はどんなスタイルもOKです。例えば、声を出さなくても神を賛美できます。いつも心の中で神を意識するなら、自然と賛美と感謝の思いやことばが出て来るのではないでしょうか。
それは、神の憐れみと、キリストの復活の力によって、古い性質の私たちが新しい者(新生)とされるのです。
つまり、罪の力に支配され、死を恐れ、生きる目的を見失い、虚しく生きていた者に神は永遠の望みを与えて下さったからです。
次に、4節では私たちクリスチャンはとこしえに『朽ちることのない資産』の相続者であると教えています。
確かに、人が生きていくために持つべきものはたくさんあります。しかし、それらは必ず朽ちるのです(天災、人災によって)。しかし、神を信じる者は、やがて御国で受ける朽ちない永遠の資産のために、地上において神のために労することはとても大切であります。
5節では、すでに手にしている「神の救い」という資産が、世の終わりの時にどれだけ尊いものであるかが具体的なものとなります。そして神の力と私たちの信仰によって神の救いを失うことがないように守られる(軍隊が町や村を守る)のです。私たちにとって本当に価値があり、朽ちることのない資産は、この世にはなく、それはこのみことばの中に隠されているのです。
「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして、喜びのあまり、行って、大喜びで帰り、持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。」(マタイ13章44節)