「試みられる愛」 ローマ書12章13―16節 2021.4.18(日) 港キリスト教会

    「試みられる愛」 ローマ書12章13―16節

    パウロは、イエスの愛を根底とした教えをローマにいるクリスチャンたちに書き送った。まず13節は、貧しさが原因で教会の交わりに支障を来たしている者が、交わりに回復出来るように物質的な援助し、巡回伝道者、迫害に逃れてきたクリスチャン、危険な旅の道中にある者たちをもてなすことは教会にとっては隔てなき分かち合いという愛の実戦であった。

 

  次に14節は、迫害する者に対する愛の行為である。主イエスは「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5章44節)また「あなたを呪う者たちを祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」(ルカ6章28節)と教えられた。キリストを信じているという理由で、侮辱、ののしり、あざけりを被った時は、彼らを祝福し、彼らのために祈りなさいとの主の教えである。なぜそこまで?それは、そのようなクリスチャンたちの心にあるキリストの愛に気づいた迫害者が、キリストの救いに預かることを神が望んでおられるからである。

 

  次の15節では、クリスチャン同士における愛の必要を語る。それは兄弟姉妹の関係においての愛の実践である。共に喜んでいる者たちの立場や権利は同等ではないが、あたかも同等であるかのように一緒に喜べる心である。これは泣く者と一緒に泣くこと以上に実行困難な愛の行為である。なぜなら「憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前には、だれが立ちはだかることができるだろうか。」(箴言27章4節)とあるように、私たちは同情心と嫉妬心を持ち合わせているゆえに、私たちの心から嫉妬心をなくすことは不可能ではあるが、神への信仰は嫉妬心からの解放を可能にする。

 

  最後の16節は、当時のローマの教会内において身分や地位の違いがあっために、教会内で孤立し、また差別を受けていたクリスチャンがいたと思われる。身分や地位や職業の違いゆえに、教会内での交わりに問題が生じていたのである。

 

  教会は、キリストの十字架の贖いによって赦された罪人の集まりであり、その交わりにおいては、何の優劣も隔たりも差別もないというのが聖書の教えであり、神の御心である。