「弁明〜信頼関係を学ぶ」 第2コリント1章15—22節
人間関係において互いの信頼関係が大切であり、パウロも教会の人々との信頼関係には心を配っていた。今回も、パウロの弁明から信頼関係について3つのことを学びます。
1 神の真実が信頼関係の土台となる(18節)
パウロは、私を信じてくださいと自己弁護したのではなく、神の真実にかけて弁明した。
かつて、クリスチャンを迫害していたパウロが、キリストに出会い、キリストを信じ、神のために命をかけて働く者が、「神の真実にかけて言いますが」との言葉は重く、信頼に値する言葉ではないか。
お互いの信頼関係は、神は真実な方であるという土台の上に成り立つのである。
2 信仰による結びつきが信頼関係の土台となる
(19―21節)
クリスチャンを迫害していたパウロが、キリストに出会って回心した当初は、クリスチャン仲間から信用されなかった。
しかし、パウロの信仰の証しは、いつしか仲間たちの信頼を得た。イエス様を信じているというのは、教会だけでなく、日本、世界のどこであっても、お互いに心を開いて交わりを持つことが可能である。そのような信頼関係は信仰の確かさから来るのである。
パウロは、「神の栄光のために、キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れ合いなさい。」と語る(ローマ15章7節)。
3 同じ御霊が与えられていることが信頼関係の土台となる(22節)
私たちは、色々な意見や考え、また相違点があるが、大切なことは違いがある中でお互いをどう受け入れ合うかである。
たとえば、意見がバラバラなら教会は前進しない。また、自分勝手な考え方では、健全な教会を建て上げることは難しい。
教会において、様々な意見や考え方があったとしても大切なことは、神のみこころを願い求めることである。そのために、意見の一致を求めること以上に、御霊の一致を求めなければならない。
神の真実、同じ信仰、同じ御霊を土台とする信頼関係を構築していくなら、その教会は健全に機能し、そして平和を保ち続けていくのではないか。