「キリストの愛を土台として」 ローマ書12章9-12節  2021.3.28(日)港

「キリストの愛を土台として」 ローマ書12章9-12節 

 9−12節は、神の愛を土台にした勧めであり教えであることを学びましょう。

 9節の神の愛とはギリシャ語のアガペー(無償、無条件、永遠、普遍的、不変、犠牲的)であり、10節の兄弟愛の原語はフイラデルフイヤ(友情愛)であり、互いに愛し合いの愛とは原語のストルゲー(家族愛、親子愛)である。


 まず、9節の神の愛(アガペー)とは真実な愛であり、この神の愛がどれほど真実であるかは、キリストの十字架の死によって示されている。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(第一ヨハネ4章10節)

 

 9節後半の悪を憎むとは、悪から離れることであり、善から離れないようにとは、善にしっかりと結びつく(のりづけする)ようにという意味である。

 

 次に10節の兄弟愛(フイラデルフイヤ)とは、友達関係における愛ではあるが、神の愛によって神の子とされた者は、家族の一員として互いに愛し合うようにと勧める。なぜなら、教会はサークルのような集まりではなく、神の家族の集まりだからである。


 さらに、パウロはその神の家族の中でだれが一番尊敬され、偉いのかといった優劣ではなく、互いに先んじて尊敬し合うようにと勧めている。

 

 最後に11節と12節では、実際生活における信仰の実践である。神の真実な愛によって兄弟愛と家族愛が生まれ、それらの愛を土台として忠実な信仰生活が営まれて行くということが大切である。
 「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい」(11節)とは、私たちの熱心さはさめやすいゆえに勤勉で怠らないように。また利己的な思いによって行動しやすいゆえに聖霊様に満たされて、主に仕えるようにと勧めている。


 私たちの人生はいつも順調に行くとは限らない。時には大きな失望や大きな試練に会う、しかし信仰者は天国の希望があるのだから喜ぶことを忘れないようにと勧め、
また、誰も避けることの出来ない様々な人生の問題に出くわす。しかし、苦難に耐え忍びつつ、神にひたすら祈ることによって解決への道が開かれるとパウロは勧める。