「世の闇を照らすキリストの光」
ヨハネ1章9-12節
イエスの弟子ヨハネは、「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」(9節)とイエスは世の闇を照らす光としてこの世界に来られた神の御子であると紹介。
では、イエスの光はどのような闇を照らすのか。
❶ 虚無という闇を照らす光
このむなしさ(=虚無や心の渇き)は、この世のいかなるものを持ってしても満たされない心の闇である。哲学者、数学者、宗教家であったパスカルは「人には埋めることのできない、ぽっかりとあいた心の空洞がある。そして、その空洞は神によってでしか埋めることができない。」と語っている。
イエスは「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」(ヨハネ7章37、38節)と言われた。
虚無という心の闇がキリストの光に照らされるなら、その人の心は決して渇くことのない神の平安に満たされるのである。
❷ 罪という闇を照らす光
アダムとエバが神の命令を従わずに罪を犯した結果、二人は恐ろしくなり神の御前から隠れた。そして、彼らの罪はすべての人類に及んだのである。
しかし、光であるイエスを信じるなら、私たちのすべての罪は赦される。なぜなら、
①罪なき神の御子イエスが十字架で私たちの罪の身代わりとなって死なれた。
②死より三日目に墓よりよみがえられたことによって、イエスは神の御子であることが証明された。
❸ 死という闇を照らす光
人は何のために生まれ、何のために生きるのか、そして死とは何か、また死後の有無についての答えが聖書にある。さらに、聖書は永遠のいのちと天国についても明らかにしている。
「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは、御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 (ヨハネ3章16節)
さて、イエスは忌々しい死に打ち勝たれ、私たちに天国の道を備えてくださった。この方こそ世にあるすべての闇を照らすまことの光である。
これこそが、まことのクリスマスの良き知らせである。「闇が消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。」(ヨハネの手紙第一2章8節b)