「神様に感謝します!」要約 第2コリント2章12—17節 2021.12/12 港キリスト教会

 「神様に感謝します!」

           第2コリント2章12—17節

  

  パウロの手紙には44回(聖書全体で156回)感謝という言葉が使われている。この12節〜17節においてもパウロの感謝の気持ちが表れている。 

 第1は神が共に働いて下さることへの感謝(12節) 

 それは、トロアス(現在のトルコの海岸沿い)での伝道の門戸を神様が開いて下さったことである。

 宣教(伝道)は神と共に進められ、神様抜きの宣教はあり得ない。神と共に宣教の働きをしていることを忘れず、そして結果は神にゆだねよう。

 私たちの教会も厳しい状況ではありますが、ここを拠点として港区の伝道の門戸を開いて下さった神様に感謝したい。 

 第2は神が導いて下さることへの感謝(14節) 

 パウロはコリントの教会のことで色々と悩み、心配し、気がかりであったが、神様がコリント教会の人々の心に働いてくださり、最悪の状況から最善へと導いてくださったことに感謝している。

 先の見えない状況から希望が持てるように、大きな不安に包まれていたが安心できるようになったことは感謝である。しかし、大切なことはそのプロセス(行程)における神の導きにある。

 私たちも、人生における様々な出来事の中で、感情に左右(振り回され)され、否定的な結論を出しやすいものである。しかし、神の導きによって最終的には益として下さり、感謝となることを信じたい。 

 第3は神に仕えていることへの感謝(15−17節) 「このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。」(16節)「誰が此の任に耐(たえ)へんや(文語訳)。」 

 人々の魂の救いという重大かつ重責な働きは荷が重い、しかしそのような光栄な働きに仕えることにおいてパウロは感謝している。

 その人が永遠のいのちに至るか、あるいは永遠の死に至るかどうかの働きがどれほど尊いものであるかは言うまでもない。

 確かに、みことばを語る使命と重荷はクリスチャンに委ねられている。しかし、救いについては福音を聞いた人に委ねたい。

 確かに、クリスチャンは神様のみことばの代弁者である。と同時にみことばを語るだけでなく、自らもみことばに生き、みことばに生かされる者であることを心に留めたい。