「心を開いて神様を受け入れませんか」 ローマ書1章18-23節

 ローマ書1章から、これまで福音について学んで来た。福音のメッセージを信じるなら罪の赦しと天国行きが保証される。ところが、この福音を拒絶するなら、福音を提示してくださった神様を拒絶することになる。しかし、それは愚かな行為であり、最終的には、神様のさばきを免れないというのがこの箇所の主題である。

 では、福音を受け入れない、あるいは拒絶する理由とは何か。それは、聖書の比類なき価値を知らないためである。聖書は永遠の世界のベストセラーであり、非常に価値のある書物である。ところが、心を開いて聖書を読む者にとっては価値があり、心を閉ざす者にとって聖書は全く価値のないものとなる。しかし、その結果は神の怒りを免れないというのが18節の主な内容である。

 次に、パウロは19節から21節において神様の怒りは、わがままで、自分勝手で、理不尽かつ不公平なものではないことを説明している。

 では、なぜ多くの人々が福音のメッセージを受入れないのか。それは、神についての情報があまりにも少ない。あるいは、その情報が難し過ぎる。何よりも目には見えない神を信じること自体無理な話であるという様々な主張に対して、パウロは反駁している。

 というのも、人が神様を知ることができるのは、福音とは何かを端的に語る第一コリント15章3、4節の「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また聖書に書いてあるとおりに三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」と提示されているみことばにより、あるいは、自然界や被造物(20節)を通して、さらに、良心(21節)によって人は神様を見出すことができると語っている。

 つまり、私たち人間が神様を知るために十分なものが提供されているのである。では、私たちがまことの神様に出会うために何をすれば良いのか?それは、あなたの閉じた心を開き、素直に聖書に書かれている真実(事実)を受け入れる(信じる)ことである。