「神の御子、なぜこの世界に」ローマ書5章6-11節 礼拝メッセージ(要約)2020.11/1 港

  「神の御子、なぜこの世界に」ローマ書5章6-11節 

 パウロが、キリストの十字架の真意を具体的に述べているこの聖書箇所から、神の御子キリストがこの世界に来られた目的について学んでみよう。

Ⅰ.神はイエス・キリストを通してご自身の愛を明らかにするために(8節)

 6節でパウロは、私たち人間は弱く、脆く、不敬虔な存在であると告白した。この弱いとは病気や無気力であるというのではなく、正しく生きる力がない。あるいは、正しいことをしたくても行う力がないという意味である。

 主イエスは、その様な不敬虔な者の身代わりとして十字架で死なれた。正しい人、親切な人、情け深い人のために命を捨てることは決して容易ではない。しかし、御子イエスは緻密な計画と目的によって罪人のために十字架で死なれたことに、神はご自身の愛を明らかにされたとパウロはコメントしている。

Ⅱ.罪人を救うために(9節)

 神の義は罪を見逃せず、神の愛は罪人を見捨てられないという、相反するような神の本質において、神の義を失わず、神の愛が損なわれないための唯一の方法が十字架による贖いであった。

 しかし、主イエスは躊躇することなく、自ら進んでいのちを捨てられた。このキリストの贖いを信じる者は、神の子どもとされ、永遠のさばきから免れ、永遠のいのちにあずかるのである。

 人生における幸福追求が信仰の第一目的ではなく、神の愛と赦しの体験する中で、神とともに生きる人生において、神様を信じる究極の目的がある。御子イエスがこの世界に来て下さったという事実によって、私たちは神を信じる真の意義と目的と価値を見出すことができたのである。