「天国を保証する無償の救い」 ローマ書3章20―24節
高齢化社会、長引く不況、収束しないコロナ禍による生活不安、経済の先行き不安のため、お金にまつわる事件や犯罪は、今後ますます増えていくと思われる。しかし、聖書はお金、あるいは人の命よりも大切なものがあると教えている。それは、永遠のいのちである。
では、永遠のいのちとは何か。聖書の中で一番読まれ、親しまれているみことばであるヨハネ3章16章から永遠のいのちについて見ていきましょう。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
まず、「世を愛された」という世とは①だれのことか。世とは、罪の世界に支配(翻弄)されている人間(3章20節、3章23節)を指し、神はこの世に生きるすべての人を愛された(不変の愛)のである。
次に、神がそのひとり子の御子イエスをこの世に送って下さったのは②何のためか。それは、人として来られた御子イエス・キリストを信じるすべての人が、永遠のいのちを持つためである。(3章21、22節)。
さらに、その愛とは③どのような愛なのか。それは、いかなる罪人をも愛されるというものである。この社会で重罪を犯すなら厳罰は免れない。まして、神の前では、だれひとり罪による刑罰を免れることはできない(ヘブル9章27節)。
その刑罰とは、すべての人は罪を犯したために、死(肉体の死)を招き(ローマ書5章12節)、そして、永遠の死(魂の死)を招く結果となった。悲しいことに、この結果を覆すことはだれにもできない。しかし、永遠の死から永遠のいのちを得ることが出来たのは、実に神の愛による。それは、キリストが私たちの罪の身代わりのために十字架で死なれたことによる(贖い)。
イエスがいのちをささげられたという犠牲の愛は、私たちに何の代価も要求しない。無料(ただ)と無償の違いとは、無料とは、後から何か要件や頼み事がある。しかし、無償とは、一切見返りを求めない。まさに神の愛は、犠牲の愛であり、無償の愛である。
「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」
(ローマ3章24節)