「土の器に信仰の宝を」
第2コリント4章7—15節
パウロは、私たち人間にとってなくてはならないものについて紹介している。
それは、福音(Good News=イエスの十字架による救い)という宝であり、その宝とは福音を信じることによって罪が赦され、永遠のいのちを得るものである(7節)。
さらに、パウロはその宝の持ち主であるクリスチャンを土の器にたとえている。
では、土の器とはどのようなものか(8−12節)。
それは、迫害の中で、恐れ、苦しみ、途方にくれる弱い土の器ではあるが、神の力を頂いているゆえに壊れることはない。
たとえ、死ぬ(壊れる)ことがあっても、永遠のいのち(復活)を受けて天の御国に行くことができる(13、14節)。
パウロ自身、神様の力を持つ土の器というだけでなく、「今でも、私たちはこの世の屑、あらゆるもののかすになりました。今もそうです。」(第1コリント4章13節)と、弱さを持つ土の器であると自認している。
このみことばの意味は、パウロ自身が自己卑下しているというのではなく、神の前にへりくだることによって尊く用いられ、そして、神様から大きな恵みをいただき、どのようなことがあっても、いつでも神様に感謝する者と変えられたという証しではないだろうか(15節)。