「宗教の存在価値とは」
マタイ15章7-20節
宗教は英語でレジジョン(再び結びつける)と訳され、また、それは「神と人とを再び結びつける」という意味を持つ(一説)。
それゆえに、宗教家のなすべき事は、神と人との壊れた関係の修復のために労するものである。ところが、当時の宗教家(パリサイ人や律法学者)たちは、その使命に応えるどころか、むしろ人々を神から遠ざけていた。
さて、弟子たちが手を洗わないでパンを食べているのを見て、宗教家たちは昔の先祖たちの言い伝えを破っているとイエスに忠告。しかし、かつてイエスは「わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない」(マタイ9章12節)と諭されていた。それは、宗教的行為が心の伴わないものにならないようにとの戒めである。
宗教家たちは、律法の大切な精神を蔑ろにし、さほど難しくない昔からの言い伝え(口伝律法)を守ることで律法を守っているという思い違いしていたのではないだろうか。
しかし、イエス・キリストは私たちと天のお父様との仲介者となって、壊れた両者の関係を修復してくださった。それゆえに、行い(言い伝えを守る)ではなく、イエス・キリストを信じて罪赦され、永遠のいのちを頂いて天国に行けるのである。そこに、宗教本来の存在価値があるのではないだろうか。
「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たこ
とではなく、神の賜物です。」 (エペソ2章8節)