「嫌われ者を愛されたイエス」 要約―真の生きがいはイエスに出会ってー 2023.4/30 港キリスト教会 

 「嫌われ者を愛されたイエス」 

―真の生きがいはイエスに出会ってー  マタイ9章9節 

                                                 

 イエスに出会った取税人マタイの人生が、どの様に変えられたかを見よう。

 イエスは、カペナウムの収税所にいたマタイを見て、「わたしについて来なさい。」と声をかけられた。

それを聞いた彼はすべてを捨ててイエスに従った(ルカ5章28節)。 

 当時ユダヤ人の間では、取税人は売国奴、裏切り者、会堂の出入禁止、盗賊や殺人者と同一の犯罪者であった。というのも、取税人の仕事はあこぎ(悪質で強欲)であった。

 さて、マタイがこの仕事を選んだ経緯は不明だが、同胞から不正な税金集め、私腹を肥やしていたことで、良心のとがめに気づく者はいなかった。

 しかし、イエスは彼の内なる声を聞き、マタイに目を注がれた。漁師であったペテロやヨハネとは違い、マタイの決意は後戻りできないものであった。

 

 ここに、マタイの献身の本気度を見る。しかも、彼の決意は間違っていなかったことが、その後の主の弟子としての活躍から窺い知れる。もし、彼が取税人を続けていたなら、後世に名も残らず、生涯人々から嫌われ、多くの富を持ちながらひとり寂しく世を去ったであろう。

 しかし、彼の名は世界のベストセラーの聖書に刻まれている。もちろん、彼は名を残すためではない。もともと、彼は生きがいのある仕事を探していた。そして、それをイエスの内に見出したのである。

 弟子になることに生きがいを見出したのではなく、イエスの人格に触れて真の生きがいを見つけたのである。それは、マタイだけではない。

 人はまことの神に出会って生きがいを見し、その方を信じて心が満たされる。私たちを造られたまことの神から離れて真の幸福はなく、真の生きがいもないのである。

 なぜなら、人はまことの神から離れている罪人ゆえに心の平安を失ったのである。今も生きておられるイエスは、私たちの心を察知して、励まし、慰め、助けてくださる。私たちが悩む時も共に悩み、苦しみ、痛みも共有してくださる。ですから、どんなことでもイエスに相談しょう。どんな小さなことでも、いかなる悩みや、つらいことや、悲しいことであってもイエスに打ち明けよう(祈る)。

 イエスは、あなたのすばらしいカウンセラーである。イエスとの出会いとは、罪の赦しによる真の喜びと平安、そして永遠のいのちという素晴らしい希望との出会いである。