イースター礼拝「復活のイエスに気づかなかった弟子たち」 ルカ24章13−35節 2023.4/9 港キリスト教会 

   イースター礼拝 

「復活のイエスに気づかなかった弟子たち」   

 ルカ24章13−35節 

 

 2人の弟子が、エルサレムから11キロほど離れたエマオという村に行く途上の出来事である。

 その日は、イエスが十字架で死なれて三日目となる日曜日、その日のエルサレムは騒然としていた。

 というのも、主の弟子であった女たちが、よみがえられたイエスに出会ったということが言い拡がっていたからである。そのような状況の中、2人の弟子はエルサレムで起こった出来事を語りながらエマオに向かっていた時に、復活の主がふたりに近づき一緒に歩かれた。

 ところが、2人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。」(16節)

 

 では、どうして2人は復活の主に気づかなかったのか。それは、主が生前に十字架の死と復活を予告されたことと、復活された事実とを相入れる信仰がなかったからではないだろうか。 

 世の知識、世の常識、そして聖書はためになる書物であるといった理解が復活信仰を妨げているのではないだろうか。

 イエスは2人に、「ああ愚かな者たち、心が鈍くて、預言者たちの言ったすべてのことを信じない者たち。キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」(25,26節)と諭された。

 その後の夕食時に、イエスがパンを裂かれた光景を見て目が開かれた。復活の主に出会った2人は、大きな喜びと希望で心が満たされたのである。

 

 キリストが死なれたのは、私たちの罪の身代わりのために、そして死からよみがえられたのは、私たちが新しい(永遠の)いのちを受け、喜びと希望を抱いて新しい歩みをするためである。

「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことはありません。このことを信じますか。」ヨハネ11章25節)