「人の齢(よわい)について」 詩篇90篇9−11節 召天者記念礼拝 2022.10.30 港キリスト教会

 「人の齢(よわい)について」  詩篇90篇9−11節 

 

 「私たちのすべての日は、あなたの激しい怒りの日の中に消え去り、私たちは、自分の齢を一息のように終わらせます。」(詩篇90篇9節) 

詩篇90篇9節―11節には、人間の罪に対する神の怒りについて書かれている。もし、罪の問題が未解決のまま人生を終えるなら、たとえ長生きしたとしても、その一生はむなしいのみならず、神のさばきがその人の上に永遠にとどまる。

しかし、罪による死(肉体の死と魂の永遠の死)の解決のために、神の御子イエスは私たちの贖罪のために十字架で死なれ、三日目に復活された。「わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべてのものを、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。わたしの父のみこころは、子を見て信じるものがみな永遠のいのち持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」 (ヨハネ6章39、40節) 

さて、週報に記された召天者には3つのタイプがある。

❶死の直前にイエスを信じて救われる

❷信仰生活の最中に召される

❸教会から離れているが信仰を堅持して召され、あるいは信仰復帰後に召される。

❶〜❸のいずれも天国に行くことができ(天の報いは3者同じではない)、これらの人たちは、もはや過去ではなく、天的な未来の領域である神の御許におられ、イエスが空中までに再臨された時に最初に引き上げられ、次に生きている者(信仰者)が携挙され、先に召された者たちと空中にて大いなる喜びの再会の時となる。

この希望を抱いて主が来られるのを待ち望みつつ、信仰生活を全うしましょう