「病の癒しか罪の赦しか」マタイ9章1―8節 要約 2023.4/2  港キリスト教会           

 「病の癒しか罪の赦しか」  マタイ9章1―8節

          

 イエスの奇跡による中風の人のいやしから3つのことを学ぶ。

 

中風の人を連れて来た人たちから

 4人の男たちは、イエスに治して頂こうと寝床のまま彼をイエスのもとに連れて来た。

 ところが、多くの人たちで家の中に入れず、彼らは屋上の屋根の瓦をはがして、イエスのもとに彼を吊り降ろした。その光景を見て主は彼らを誉められた。それは、彼らのあきらめない、人を憚らない、そして人を大切にした行為に裏打ちされた信仰であった。

 

中風の人を癒やされたイエス様から

 イエスは、中風の人を癒す前に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と、彼の病の癒しの前に罪の赦しの宣言をされた。

 それは、罪を犯したすべての人間は、死後永遠の死というさばきを受けるからであった。

 彼は長年病で苦しんで来た。しかし、人間にとって最も悲しむべきとは、神に罪を赦されていないことである。

「幸いなことよ。そのそむきの罪を赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならず、その霊に欺きのない人は。」(詩篇32篇1、2節)

 

律法学者たちやパリサイ人たち

 彼らは、イエスの言葉尻を捕らえて訴え(断罪)ようとしていた時に、イエスが中風の人に罪の赦しの宣言をされた。その時、彼らは神以外に罪を赦す権威は誰にもないと思っていた心の中を見抜かれて、ご自身が地上で罪の赦しの権威を持っていることを、彼らに分からせるために中風の人を癒された。

 律法学者たちのように、聖書をふりかざして人を罪に定めるために聖書を人間に与えられたのではなく、聖書を通して神の愛を知り、魂の救いと魂の養い、そして人の営みにおいて神の御心を知り、それを行うためである。