「嵐を静められたイエス」要約 マタイ8章23―27節 2023.3/19  港キリスト教会

 「嵐を静められたイエス」  

 マタイ8章23―27節

 

けさは、嵐を静められたイエスの奇蹟について考察したい。

第1は奇跡についての間違った見方

  イエスの奇跡は今から2000年前の出来事であって、現在は聖書にある奇蹟が起こる可能性は少ないと思われる。

しかし、今日においても神による奇蹟を体験することができる。それは、信仰生活における不思議な体験である。

当時の人々の多くは、イエスの不思議なしるし(奇跡)見ても真の信仰には至らなかった。

しかし、現在においては神を信じているクリスチャンの祈りを通して、ご自身のみわざ(奇跡・しるし)を現される。

 

第2は今日における奇跡とは何か

  現在における奇跡とは、神は目には見えないがいつも私たちとともにいてくださるという事実である。

聖書注解者バークレーの言葉

「イエスの奇跡とは、イエスがおられるところでは、人生の嵐が静まることを意味している。イエスが臨在されるなら、最も恐ろしい嵐もおさまってなぎになる。イエスのおられる所には、どんな嵐も吹きすさんでいても平和がある。冷たくわびしい悲しみという嵐が吹いていても、イエスの御前には、平和と慰めがある。疑いの嵐が信仰の土台をゆるがすときにも、イエスがおられる所には、確かな安全がある。人の心を揺さぶらす、すべての嵐の中にあっても、我々は、イエスと共に平安を得ることが出来る。」と語っている。

 

将来、私たち一人ひとりの身の上に何が起こるかは知る術はない。しかし、いかなる時も主は私たちを離れず、見捨てず、いつもともにいると約束された。

誰であれ試練や困難はない方がいい。しかし、神がともにおられないなら、思いがけない試練や困難に対して、人は実に無力ではないだろうか。

弟子たちは、思いがけない恐ろしい体験をし、信仰もふるわれた。それでも彼らの船は向こう岸に無事に着いた。

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。』                

             (イザヤ書41章10節)