「神は隠れたところで」要約 ―神の報いと祈り― マタイ6章1―8節 202210/23 港キリスト教会 

 「神は隠れたところで」 

―神の報いと祈り― マタイ6章1―8節 

                     

 当時、ユダヤ人の宗教行為の支柱であった施し(2―4節)、祈り(5―8節)からイエスは何を教えられたのか。

施しによる報酬は求めない(2節) 宗教家たちの多くは、人目のつく場所で施しをして人々からの報酬を受けていたが、神からの報酬は失っていた(1節)。

施しにおける良い動機とは(3節) 宗教家たちの多くの施しの動機は、自己の賞賛を求めるものであった。施しは、なすべきことをしただけですという謙虚な心と神様に喜んでもらいたいという動機が大切。

隠れた所で見ておられる神(4節) 悪い動機による施しでも、人からの報いだけはある。しかし、良い動機の施しは隠れていても天の父が報いて下さる。

間違った祈りの姿勢7節) このところで主は、祈る時は偽善者のような祈りにならないようにと教えられた。偽善者は、会堂や大通りで祈りに熱心であることを人々に見せつけ(5節)、さらに、同じ言葉を繰り返して祈る。これは、神がいかなるお方であるかの認識不足と信仰の欠如にある(7節)。 

正しい祈りの姿勢(6節) イエスが言われた奥まった自分の部屋とは、他人をあまり気にせずに祈りに集中できる所であり、隠れた所で見ておられる神様から報いを受ける場所である。 

神に喜ばれる祈り(8節) それは、自分がどのようなお方の前で祈っているのかという認識を持って祈ることである。「あなたの父なる神は、あなたがお願いする先に、あなたの必要なものを知っておられるからです。」(8節) 

私たちが信じている神様は遍在の神、全知全能の神、義なる神、忠実な神、罪ある私たちのために御子を与えてくださるほどの愛なる神である。そのような偉大なる神の御前にはばかることなく祈れる幸いと恵みに心から感謝したいものである。