「天に宝をたくわえなさい」 マタイ6章19―21節
世の宝とは何か、そして世の宝と信仰との関わりについて考えよう。
まず、地上の宝(=世の富)とは、金銭のみならず、非常に大切にしているものが世の富であるが、それらは必ず朽ちる。世の富についての考え方を間違えると、信仰者にとって世の富は有害なものになる。
では、富に対する間違った考え方とは何か。それは、富は人生の全てを満たし、恒久的な安心を与えるという錯覚である。聖書は、「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」(第二コリント4章18節)と勧めている。
つまり、信仰者が目を留めるべきものとは神の栄光である。パウロは「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって神の栄光を現わしなさい。」(第一コリント6章20節)と勧めている。
私たちの存在は、神からのものであり、私たちが生きる目的も私たちにあるのではなく、神のためにある。
ですから、世の富に振り回され、縛られる人生ではなく、むしろそれらから解放され、ヘブル書の著者が証言したように、クリスチャンはこの世においては旅人であり寄留者であることを自覚し、困難で厳しい時代を、主に守られ共に歩んで参りましょう。