苦難から得るもの(Ⅰ)」要約 第二コリント1章1−5節 2021.10月24日(日)港キリスト教会

苦難から得るもの(Ⅰ)」第二コリント1章1−5節

 

 コリント教会はパウロの宣教によって生まれた。テモテが教会の責任者であったが、パウロが不在時にユダヤ教主義者たちは、パウロを非難し聖書の教えを曲解し教会が混乱させる。

 その様な中で書かれたパウロの手紙から苦難から得る2つの事について学ぶ。

❶苦難の中で体験した神の慰めは、苦しみの中にある人を励ますことができる

❷神との関係の中で苦難の意味を知る

 パウロの数え切れない苦難の中での神の慰めの経験によって、苦難の中にいる信徒たちを慰め、励ますことができた。さらに、彼らの苦難の先には慰め主がおられるのだ。愛なる神は、無意味な無目的な苦難は信徒に負わされない。もし、今苦難の中にあるなら、神は苦しみの中に愛する我が子(信徒)を背負ってくださる。

 

 「足  跡」作者:マーガレット・F・パワーズ(米国人)

 ある夜、私は夢を見た。私は、主とともになぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも砂の上に二人の足跡が残されていた。一つは私の足跡、もう一つは主の足跡であった。これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、私は砂の上の足跡に目を留めた。そこには一つの足跡しかなかった。私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。このことがいつも私の心を乱していたので、私はその悩みについて主にお尋ねした。「主よ。私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人の足跡しかなかったのです。一番あなたを必要としたときに、あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」 主はささやかれた。「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みのときに。足跡が一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていた。」