「あれは借りものです」 列王記第Ⅱ6章1~7節 2021.5/30 港キリスト教会

   「あれは借りものです」列王記第Ⅱ6章1~7節

 ある注解者は「これは、エリシャの物語の中で最もつまらないものではあるが、預言者が小さなことでも喜んで援助したことを示すものとして面白い」と註解している。

 物語の背景は、預言者エリシャが(BC850年頃から800年頃)活躍していた頃、神様に立てられた預言者たちが共同生活をしていたのですが(1節)、預言者たちの人数が増え、場所を広げるために木を切りに行った時に起きた事件であります(2~4節)。

 ある人が木を倒している時に、斧の頭を川の中に落とし「ああ、主よ。あれは借り物です。」(5節)と叫びました。

 

けさは、この箇所から2つのことを学びましょう。

  第1ポイント物を大切にすることと人を大切にする心とには繋がりがある(5節)

 借りものの斧の頭が取れたことで、彼は責任を問われるのでしょうか。確かに使う前の点検は必要なのかも。とはいえ、いかに慎重かつ注意深くしていても、思いがけない事故やトラブルが起こるのです。まして、斧の頭が取れて川に落ちたのは故意ではなく過失なのです。 

 それでも、彼は「ああ。主よ。あれは借り物です。」と叫んだのです。この叫びから彼の人柄(人間性)が伺えるのです。

 彼は、自分の物を大切にするだけでなく、人のもの(公のもの)を大切にする人物ではないでしょうか。

 よくあるケースですが、自分のものは大切にするが、公の物や、他人の物となると粗末に扱うという人が案外おられるのです。

 例えば、教会の建物は公なものですから、他人任せにしないで、みんなで協力し合って建物を維持しなければならないのです。

 ある人が、「自分の持ち物への心遣いは、自分では無意識のうちに、公共のものに対しても、人に対しても現れてきます。」と言っているのです。

 さて、この預言者が斧の頭を落とした時に「主よ!」と叫んだのは、借りた人との信頼関係が壊れるのを心配したと思われます。

 彼は、人間関係で大切な信頼関係を重視する人物ではないでしょうか。

 娘が学生の時、友達と出かけた時に、お金が足りず欲しい品が買えなかった時に、友達がお金貸すよと言ってくれたようです。

 その事を聞いた私は、即座に金の貸し借りには気をつけないと友達関係が悪くなるよと進言したのです。

 ところが、その友達がそのように言ったのは、娘のことを信用しているからとのことでした。 

 物の貸し借りや、私物と公物のことで大切な人間関係が壊れ、傷つき、こじれてしまって、神との関係まで気まずくならないように注意しましょう。

 

 第2のポイント:エリシャの奇跡は小さな心配から起こったのです(6~7節)

 深い川の中に落ちた物を取り出すのは至難の技。しかし、エリシャは一本の枝を使って、水の中に落ちた斧の頭を取り上げたのです。

 過失で失った斧の頭、自分が悪い、仕方ないからと諦めるのではなく、「ああ。主よ。あれは借り物です。」と主に叫んだ結果、エリシャの奇跡が起こったのです。

 人から見て小さな悩みや心配事、あるいは小さな問題と思えることであっても「ああ主よ!」との叫びを聞いてくださり、答えて下さるのです。さらに、人には不可能なことであっても、主は可能として下さるのです。ハレルヤ!主に感謝します。