「慈愛に富み、あわれみに満ちる主」 ―コロナと聖書の教えー 2021年1月3日 新年礼拝 港

「慈愛に富み、あわれみに満ちる主」

   ―コロナと聖書の教えー

 今日の世界的な疫病による試練を、クリスチャンはいかに捉え備えるべきかをみことばから見ましょう(参考:ウイルス禍についての神学的考察)。

Ⅰ.困難な時こそみことばに忠実である

 新型コロナウイルスの厄介さは、人と人との分断であり、緊急事態宣言下での礼拝の中止は、神を求める人が教会に来るチャンスを失い、クリスチャン同志の交わりが希薄になる。しかし、それらは聖書の教えと相反することがある。聖書は、隣人を愛し、困窮者や弱者を助け励まし、飢える者に与えなさいと勧める。感染リスクのある中で、いかに人と関わるかは非常に難しいが、その様な時こそみことばの教えに忠実でありたい。

Ⅱ.不必要なリスクを避ける

 お互いが感染から守られるように祈り、三密、消毒、マスク、換気等の対応をし、他者に感染させない、自分の不注意で他者の死を招かない。そして、困窮する隣人が私を必要とするなら、その人の所に駆け寄ってあげるのは神の召しに応答することである。

Ⅲ.コロナ感染での実際的なこと

集会の自粛について(参照:第一テモテ2章―3節、ヘブル10章24−25節)。神の平和を届ける教会として、自ら感染源とならないように最大限の努力を心がける。

礼拝欠席者への配慮 感染への不安、高齢者の方達など、やむを得ず、礼拝に集えない人のために適切な配慮をする(郵送、録音テープ、インタ―ネット等によるフォロー)。 

❹万一教会内で感染者が出た場合は、保健所の指示に従う。また、当事者のケアの必要。❺誰もが感染する可能性があり、隣人の栄誉と威信とを力の限り守るべきである。

 さて、コロナに関する過剰情報による不必要な恐れ、間違った理解、あるいは偏った考えに陥ることに注意しよう。そして自己判断による自信や過信ではなく、聖書的な俯瞰(広い視野で全体を把握する)をしょう。

 先の見えない一抹の不安、あるいは自分が感染するかも分からない状況の中で、神様は私たちを見放さず、見捨てず、いつも共にいてくださることを固く信じていきましょう!

「主は全てのものにいつくしみ深く、そあわれみは造られた全てのものの上にあります。」(詩篇145篇9節)