「イエスはよみがえられた!」 -イエスのことばを思い出した女たち- イースター礼拝(要約) ルカ24章1-12節 2019.4.21 港キリスト教会

 「イエスはよみがえられた!」 -イエスのことばを思い出した女たち-   

                                   イースター礼拝 ルカ24章1-12節    

 日曜日の朝早く、女たちは「だれが墓の入り口から石を転がしてくれるでしょうか」(マルコ16:3)と心配しながらもイエスの葬りのために墓に向かった。墓に着くと、何と心配していた大きな石は、御使によって動かされていた。私たちの人生においても、自分では動かせない大きな石という心配事や不安や思い煩いがある。しかし、そのような(心配、思い煩い、不安)中にあっても、ひたすら神様を信頼し続けよう。神様は心配しながらも墓に行った女たちを失望させられることはなかった。「見ると、石が墓からわきに転がされていた。」(ルカ24章2節)

 ところが、女たちが墓の中をのぞくと、イエスのからだがなかった。それで、女たちは途方に暮れた(ルカ24章3、4節)。女たちにとって、墓の中に主のご遺体がないという事が何を意味しているのか全く理解出来なかった。なぜなら、主は死からよみがえられたからである。御使いは、女たちがイエス様と一緒にいた時に何を話されたかを思い出すようにと促した。そこで女たちは、イエスが語られたみことばを思い出したときに、イエスが復活されたという信じがたい事実を悟る(受け入れる)ことが出来た。

 みことばには不思議な力がある。みことばを守るなら、悪の道から守られ(詩篇119篇9節)、みことばは人を生かし(詩篇119篇50節)、人生の指針となる(詩篇119篇105節)。みことばは、浅はかな者に悟りを与え(詩篇119篇140節)、みことばによって幸いを見つけ(箴言16章20節)、みことばに聞き従うことによって、多くの実を結ぶ(マルコ4章20節)。そして、みことばは人々の魂を救うことができる(ヤコブ1章21節)。

 私たちは、この世の価値観に心を動かされやすく、またこの世の変化に流されやすいものである。しかし、聖書はどう言っているのかをよく調べ、よく学び、そして、聖書を正しく理解できるようになりたい。