「切なる祈りに答えてくださる神」要約 −イサクの嫁探し−創世記24章1―14節  2019.11/17 港キリスト教会

「切なる祈りに答えてくださる神」−イサクの嫁探し−創世記24章1―14節 

 この個所から、しもべの祈りについて学びます。しもべのイサクの嫁探しの道のりは距離にしておよそ700〜800キロ?ご主人であるアブラハムの高価な財を携えての長旅。道中、盗賊に襲われる危険がある旅であった。しかも、イサクにふさわしい嫁が見つかるかどうかの不安もあったが、無事に長旅を終え目的地に着くやいなや、神様に祈りをささげた(11節)。このしもべの祈りには、3つの祈りがあった。

1つ目は、自分のための祈り「私のためにどうか取り計らってください。」(12節)しもべは、まず主に呼びかけ、それから自分のことを祈った。主イエスが、祈りについて弟子たちに教えられた。まず、天の父に呼びかけ、次に自分たちの日ごとの糧を祈り求めよと教えられた。私たちも、自分の祝福のために大いに祈りましょう。

2つ目は、とりなしの祈り「私の主人アブラハムに恵みを施してください。」(12節)この祈りは、主人の願いであるイサクに良い嫁が見つかるようにというとりなしの祈りである。人の幸せや人の利益のために祈る大切さが教えられる。人間には、人の不幸、失敗、不利益を心の中で喜ぶという罪深い性質がある。確かに、罪深い性質は自分の手には負えない。しかし、主イエスの十字架上でのとりなしの祈りを思うとき、私たちクリスチャンは、人のために祈る者とされているのではないだろうか。家族、親戚、教会のメンバー、教団・教団以外の牧師・宣教師、知人のクリスチャン、ノンクリスチャン。また国の指導者や独裁国家の指導者のためにとりなすというのは、聖書の勧めである(第一テモテ2章1節)。

3つ目は、具体的な祈り「このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、私が知ることができますように。」(14節)このしもべの祈りは非常に具体的である。私たちの祈りが、いつのまにか抽象的で漠然とした祈りになってはいないだろうか。「祝福してください。」「恵みを与えてください。」「導いてください。」と祈ることは大切である。しかし、どのような祝福や恵みや導きを求めているのか。具体的に神様に申し上げることの大切さを、このしもべの祈りから教えられる。 

 さて、しもべは神に全幅の信頼を置いて祈っているアブラハムから、神を信じて祈る大切さを教えられ、非常に困難と思われたイサクの嫁探しが、切なる神への祈りによって万事良きに導かれたのである。

「確かに神は聞き入れ、私の祈りの声に耳を傾けてくださった。ほむべきかな神。

神は私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。」(詩篇66篇19,20節)