「神の警告に耳を傾ける」ーロトのためらいー 創世記19章1―29節 2019.9/15 港

    「神の警告に耳を傾ける」ロトのためらい―

                創世記19章1―29節 

 ソドムの滅びからロトの家族が救われた出来事から学ぼう。さて、二人の御使いが夕暮れのソドムの町に来た(偵察)。町の門の所いたロトは、この二人を手厚くもてなした。堕落していたソドムの町にいながら、ロトの良心は守られていた。

 ところが、ロトの家に招かれた二人の客人(御使い)を知ろうと(不自然な性的な欲望を満たすために。ソドム→ソドミスト=男色)ソドムの人々の若い者から年寄りまでがロトの家を取り囲み、彼らを引き出せと迫った。ロトは、自分の娘を彼らに差し出してまで御使いを守ろうとしたが、人々は聞き入れなかった。

 そこで、御使いたちはロトの家族や身内の者たちにソドムから出て行くように勧告した。ところが、ロトの娘婿たち(ソドム人)には、御使いの警告を冗談と思われた。ノアの家族以外の全ての人々がノアの警告を嘲笑したのと同じである。

 今日の時代においても、神の存在を否定し、信仰には無関心、放縦な生き方を求める人々が増えつつあることに危惧を抱く。しかし、人々が聞いても聞かなくても、神の救いを語らなければならない試練の時が来る(参照:テモテ第二4章2−4節)。

 さて、悪夢のような一夜が明け、御使いたちはソドムから一刻も早く離れるようにロトたちを促した。ところが、この期に及んでロトはためらっていた。では、なぜロトはためらったのか。

 第一に、現実にはまだ起こっていない警告だったために。人は結果を見て始めて警告の重大さと深刻さを知る。主イエスは、「洪水前の日々にはノアが箱船に入るその日まで、人々は食べたり飲んだりめとったりとついだりしていました。洪水が来て、すべての人がさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです。」(マタイ24章38、39節)と言われた。

 第二に、世の富や財への執着心のために。ロトにとって、カナンの地で24年間懸命に働き、苦労して築いた物を一夜にして失うのは堪え難いことである。しかし、ロトの執着心は、永遠のいのちを失いかねなかった。

 第三に、それは御使いの言葉を信じなかったからである。ロトの曖昧な信仰は神の警告を曖昧なものにした。それは、神の命令を曖昧にしてアダムとエバを誘惑したサタンの常套手段である。

 さて、二人の御使いは、ためらっていたロトと妻、二人の娘たちの手を取り、強いて町のはずれに連れ出した。それは、「主の彼らに対する憐れみによる。」まさしく18章20節〜におけるアブラハムのソドムの人々とロトに対する熱心なとりなしの祈りが聞かれたのである。

 世界的な経済危機、異常気象、国家間の争い、道徳の堕落と退廃等の世の終わりの兆候を思わせる今日において、神の憐れみが人々に注がれるために、私たちもアブラハムのようにとりなし手の一人として召されているのではないだろうか。