「老いて、なお使命を」創世記24章1―9節  2019.11.3 港

 

    「老いて、なお使命を」創世記24章1―9節 

 「アブラハムが年を重ねて老人になった。」(2節)この「年を重ねて」とは何か。

 第1に、人生経験を積み重ねてきたことであるアブラハムは、すでに140歳を超えていたが、およそ75年前にアブラハムの家族は、親戚のロトを連れて、メソポタミヤ(現イラク)のウルを離れカランに住み、その後、アブラハムが75歳の時に神から召命を受け、おいのロトともにカナン(現パレスチナ)に出かけた。

 その後、飢饉や王たちとの戦い、ロトの家族との別離。家庭内では、本妻サラと女奴隷であるハガイとの確執により、イシュマエル(アブラハムとハガイに生まれた子)との別れと、決して平穏無事な75年間ではなかった。

 しかし、それらの人生経験は、家族や多くのしもべたちに語り継がれたはずである。しもべたちから厚く信頼され、またアブラハムもしもべたちを深く信頼していたことから伺える。私たちも、教会での交わりにおいて、それぞれの人生経験を分かちあうことは有意義なことである。

 第2に、信仰体験を積み重ねてきたことである。

 アブラハムが若き頃、異教のウルを離れ、神が示す地に行けとの命令に従った。それには神の約束が伴っていた。それは、やがて彼の子孫から救い主キリストがお生まれになるという約束であった。

 しかし、この約束は子どもが与えられるという前提条件があったが、妻が89歳、アブラハムが99歳になっても子どもが与えられず、そのために彼らの信仰は振るわれ、神の約束を疑い、神の御心に反することを行うという負の信仰体験もあった。それでも、彼は神の約束を待ち続けた結果、イサクが与えられた。

 ところが、イサクをいけにえとしてささげよという神の命令。これは、彼にとって最大の試練の時であったが、従順というテストに合格した。

 信仰体験を積み重ねる過程で、信仰が試され、練られ、そして成長していく。そして、積み重ねられた信仰体験は、彼の家族及び、しもべたちや使用人たちにも良い影響を与えたはずである。私たちも、一人一人が積み重ねて来た信仰の体験を分かち合うことは、お互いの信仰生活のために有益である。

 第3に、神とともに歩んだ日々の生活である

 老人となったアブラハムの人生は、神と共に積み重ねて来た日々であった。同様に私たちも積み重ねて来た日々の歩みがある。神を日々意識し、神と日々交わり、神とともに歩む日々を積み重ねて、老後を迎えることが出来るなら幸いである。

 何よりもアブラハムは、信仰の継承は年老いた者の使命としていた。そして、イサクの嫁探しは、良い嫁探しというのではなく、信仰が子孫に受け継がれるためにという大切な使命が伴うものであった。私たちもいずれ老いる。

 しかし、神は「あなたには、なお使命がある」と言われる。それは、信仰の継承である。家族や友人や知人の救いのために、諦めることなく福音を携え、共に祈り合い、共に励まし合って行きたいものである。