「あなたはどこにいるのか?」 創世記3章8−10節 2109.4.28 港

 「あなたはどこにいるのか?」 創世記3章8−10節 

 罪を犯したアダムは、神の御顔を避けて隠れた(8節)。そこで、神はアダムに、「あなたはどこにいるのか」と問いかけられた。それは、アダムへの叱責、あるいは神から離れたアダムの身を案じたものか。では、神から離れた人間に対する神の思いとはどのようなものなのか。

 第1にあなたがどのような状態(or状況)であれ、神はあなたに深い関心を持っておられる

創世記3章15節は原福音と言われ、彼とは御子イエスであり、御子が全人類の罪を贖うと預言された箇所である。アダムとエバが犯した罪は全人類にもたらしたが、その罪の解決を御子イエスに託された。それは、私たちの罪の身代わりとなり十字架でいのちを捨ててまで愛するほどのものである。神が、私たちにいつも心を留めて下さっていることを覚えつつ、日々を過ごせるのは何と幸いなことであろうか。第2に神はあなたとの関係を大切にしたいと願っておられる。神は、お互いの関係を大切にしたいと願いつつ人を創造された。ところが、アダムは罪を犯した結果、神を恐れ、神の御顔を避けて隠れた。人との関係が壊れたために神は心を痛めて、「あなたはどこにいるのか。」と声をかけられた。ところが、神の命令に背いたアダムは、その罪をエバのせいにし、エバは蛇のせいにした。罪の結果もたらしたのは、責任転嫁と自己の非を認めない自己中心性である。この自己中心こそ、神の存在を否定し、神に不従順な者とならせるものである。しかし、罪によって壊れた関係を修復して下さった方がイエス・キリストである。「神は唯一です。また、神と人との仲介者も唯一であって、それは、人としてのキリスト・イエスです。」(第一テモテ2章5節)「あなたはどこにいるのか」という問いかけは、両者の関係を元に戻したいたという熱い思いが込められているのではないか。もし、私たちが神との関係において問題があるなら、主イエスに修復して頂こう。主はいつでも待っておられる。 

 第3に、神様はあなたとの交わりを求めておられる。神が人を創造された目的を、被造物である私たちが正しく知ることは難しい。ただし、聖書からある程度知ることができる。例えば、創世記1章27節を見ると、「神は人をご自身のかたちにとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。」と書かれているように、神は人をロボットのような存在としてではなく、交わりの対象となる人格者として創造された。天のお父様が、愛する御子イエスのいのちを犠牲にしてまで罪ある人間を救いたいと願われたのは、もちろん死後、永遠の滅びから免れて欲しいという神の愛からであるが、もう一つの目的とは、神との交わりの回復である。救われて良かったという喜びと感謝のみならず、神は私たち一人一人といつも交わりたいと願っておられる。ですから、「お話ください。しもべは聞いております。」と少年サムエルのように、私たちはいつでも主の御前にいる者であり、出られる者でありたい!