「世の終わりの兆候(Ⅰ)」 要約 ―見えないものに目を留めようー マタイ24章1-2節 24.4/19 港キリスト教会

      「世の終わりの兆候(Ⅰ)」  

    ―見えないものに目を留めようー

 

               マタイ24章1-2節 

 

マタイ24章における世の終わりについてのイエスの教えを3週に分けて学ぶ。

 1回目の1節から2節は、エルサレムの滅亡の預言である。「先生。ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」(マルコ13章1節)と弟子たちがすばらしい神殿を見て絶句しイエスに指し示した。

 荘厳な神殿はユダヤ教の礼拝の中心地であり、唯一神ヤハウエの聖所であった。

 ところが、イエスは、「あなたがたはこれらの物すべてを見ているのですか。まことに、あなたがたに言います。ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。」(2節)と話された。

 これは、エルサレムがAD70年テイトウス将軍が率いるローマ軍によって、エルサレムが包囲されて多くのユダヤ人が壮大な神殿を凝視しながら死んで行くことを預言された。

 この顛末を一部始終見ていたヨセフス(ユダヤの学者)は、110万人のユダヤ人が殺され、9万7千人が捕虜になったと記録している(ユダヤ戦記)。

世の終わりの前兆とは、目にに見えない(神、霊の世界)ものよりも、目に見える物(世界、物質)に心を奪われる状態が最も極める時である。

 それは、まさに今日の時代と言えるのではないだろうか。「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」(35節)

 しかし、神を信じる者は肉体が朽ちても、永遠のいのちと永遠の住まいを備えると約束してくださっている。

「たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。」

               (第2コリント5章1節) 

 昨今の地球規模の異常気象、多発する大地震、戦争、飢饉、疫病等、世の終わりが近いのではという前兆に満ちている。その様な中で、クリスチャンはいかに生きるべきなのか。

①いつ主が来られてもよい様に祈り備えよう。

②神の救いにあずかっている喜びと感謝を持って、永遠に変わることのない神のみことばにしっかりと立って歩もう。