「信仰による家族」 要約 マタイ12章46―50節 2023.8/27 港キリスト教会

「信仰による家族」

 

             マタイ12章46―50節

 

人々が「イエスはおかしくなった」(マルコ3章21節)と言っているのを家の者たちが聞き、イエスを連れ戻そうとしたが群集に阻まれたために(ルカ8章19節)、ある人に伝言を依頼、「ご覧ください。母上と兄弟方が、お話ししょうと外に立っておられます」(47節)と伝言するが、イエス「わたしの母とはだれでしょうか。わたしの兄弟たちとはだれでしょうか。」(48節)と答えられた。では、イエスの真意とは(48節)。

肉親の家族関係を絶たれたのではない(47、48節)

エスが十字架で死なれる直前に母マリヤに「女の方、ご覧ください。あなたの息子です。」と言われた。弟子のヨハネに「ご覧なさい。あなたの母です。」と言われ、その時からヨハネは彼女を自分のところに引き取った(ヨハネ19章26、27節)。

 イエスは十字架の断末魔の苦しみの中で、深い悲しみの中にあった母マリヤに愛と慰めを示されたように、深い悲しみの中にある肉親の家族をも顧みてくださる。

肉親の家族から新しい家族関係に (49節)

 エスは、弟子たちに手を向けられて「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。」と言われた。それは信仰による神の家族のことである。地上における肉親の家族は永遠に続かず必ず死別の時が来る。神の家族の一員になれるというすばらしい知らせを告げるために、神の御子イエスが人となられた。「この方を受入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」(ヨハネ1章12節)

天の父のみこころを行なって神の家族の一員に(50節

 この箇所のキーワードは「だれでも」である。かつて、4人の命を奪った当時未青年であった3人の死刑が確定した。しかし、そのうちの一人が刑務所で受洗し、もう一人も聖書を学んでいる。神はこの地上でどんな人間であるかは問われない。イエスは天の父のみこころを行なう者はだれでも神の家族の一員になれると言われた。父のみこころを行なう者とは、神のみことばに耳を傾けて聞き従う(信じる)人である。つまり、イエスを神の御子と信じたその瞬間から神の家族の一員となるのである。