「富める青年の選択(Ⅱ)」―救いのチャンスを逃さないようにー
マタイ19章16−22節
多くの財を持つ指導者(役人、高官)であった青年が、永遠のいのちを得る方法をイエスに尋ねるも、それを手にすることが出来なかった。どのような理由があったのか。
第1の理由は青年の自負心
永遠のいのちを得るのに何をすれば良いのかとの青年の質問に、イエスは律法の重要な戒めを守りなさいと教えられたが、戒めは小さい時から守っているという自負心を青年は抱いていた。
そこで、イエスは神の戒めを完全に守っているなら、自分の全財産を売り払って、貧しい人々のために役立てなさいと提示された。しかし、彼はこのことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った(マルコ10章22節)。自負心は、完全であれという律法の要求を満たすことはない。
第2の理由は青年のプライド
パリサイ人の老人ニコデモは、人目を憚って夜にイエスを訪問し、イエスがなされた奇跡を高く評価していた。彼は良い行いや聖書の知識では救いの確信を得られなかった。
しかし、2年後彼は自ら名乗り出て、イエスのご遺体を葬った。人目を憚っていたニコデモは、奇跡をなされるイエスから救いの確信を得た。
ところが、多くの財と高い身分を享受していた青年は、全財産を人々に分け与えた上でわたし(イエス)に従うなら永遠のいのちを得るとの勧めに従えなかった。彼の高いプライドがイエスにある永遠のいのちを見えなくした。
第3の理由は彼の執着心によって
富める青年は、イエスの「完全になりたいなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。
そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、私に従って来なさい。」とのことばに従うことができなかった。
イエスのことば(みことば)によって、彼の心に潜む執着心を明らかにされた。
私たちの自負心は神様の恵みを無関心にし、高いプライドは聖書の真実を歪め、執着心は天にある宝を見逃してしまうのである。