「聖書の教えとその重要性」要約 マタイ5章17−20節 2022.8/28 港キリスト教会 

 

 

 民衆に聖書を教えていた律法学者たちは、律法の解釈を歪めてし人々を指導していたという状況の中で、イエスは聖書について大切なことを人々に教えられた。

聖書を正しく解釈する(17節)

 律法学者たちは、人間社会に平和と秩序をもたらす律法の大切な精神を見失い、人々に押し付け、強要していた。そのような状況の中でイエスは、「彼らがあなたがたにいうことはすべて実行し、守りなさい。しかし、彼らの行いをまねてはいけません。彼は言うだけで、実行しないからです。」(マタイ23章3節)と忠告された。

 

聖書の真実(正しさ)は不変(18節)

 聖書は生活の規範であり、行動の基準である。聖書は物を計る基準として用いられていたパピルスに書かれていた。パピルスからビブロス、バイブル、ブック(ザ・ブックー=聖書)という言葉が生まれた。聖書の教えは真実で正しく、生活の規範、あるいは行動の基準である。

 人間の原罪は生まれながらにして全ての人の心の中に潜んでいるが、聖書の真実に照らされるなら原罪が明らかにされ、悔い改めるなら、罪の支配から解放され、死後、天国の市民権を持つ神の子どもとされる。

 

聖書は権威ある書物(19、20節)

 19節と20節は、律法を完全に守るなら天国に入れるが、戒めの一つでも破るなら天国に入れないという解釈である。つまり、天国に入るには全き義が要求され、律法を守ることによる義ではなく、信仰による義によって救われよとのイエスの真意である。その真意を成就するためにイエスは、私たちの罪の身代わりとなり十字架によるさばきを受けられた。

「人々はイエスの教えに驚いた。イエスが、律法学者のようにではなく、権威ある者として教えられたからである。」(マルコ1章22節) 真の権威を持っておられたイエスが語られたみことばもまた、権威ある永遠の書物である。