「死は絶望なのか?」
マタイ28章1−10節
昨今のコロナ禍、自然災害、ウクライナ戦争、つい最近ではイスラエルとハマスによる戦争等によって死がより身近なものとなってきた。
しかし、死とは何かの明確な答えがないのが私たちの国の現状ではないだろうか。
では、死は絶望なのか、あるいは死後に希望があるのか。“死に向き合えず、死は全ての終わりで絶望といった死の捉え方は、死を前にした人をより苦しめる”
これは、まさに死を直面した病人の真実な思いではないだろうか。しかし、死は絶望ではないと聖書は明確に教えている。
「一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入
り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がす
べての人に広がった」(ローマ5章12節)
「罪が死によって支配した様に、恵みもまた義によって
支配して、私たちの主イエス、キリストにより永遠の
いのちに導くためです。」(ローマ5章21節)
これらのみことばには二つの意味がある。
❶アダムの不義によってすべて人が罪による永遠の死に定められ
❷イエスの義の行為(罪なき神の御子が罪ある私たちの身代わりとなって十字架の死という刑罰を受けられた)を信じることで罪の責めから解放されて、永遠のいのちにあずかるのである。
“キリスト者の死は絶望ではない。その死が天国の扉を開く鍵となる”