「あわれみ深い者の幸い」 要約 ―神のあわれみを受ける人とは― マタイ5章6節 2022.7/5 港キリスト教会 

「あわれみ深い者の幸い」

  ―神のあわれみを受ける人とは― マタイ5章6節  

  この箇所でのあわれみギリシャ語:エレオス)とは、悲しい状況にある人にあわれみの心を持つ、あるいは困っている人に対する同情や気の毒に思うという意味ではない。

 バークレーは、このあわれみついて『他の人の心の中に入って、その人の立場でものを見、その人の身になって考え、その人が感じるように感じることである。』と注解している。

 自分では困っている人に同情心があると思っていても、表面的で、上から目線で、人の心の中に入れないという現実(ジレンマ)があるかも知れない。

 もし、主が教えられたあわれみ深さがあるなら、その人は容易に人の過ちや悪意を赦すことができ、あるいは、自分に対する無礼な態度や、見下げた態度にも寛容になれる。なぜなら、相手の立場に立ち、なぜその人はそのようなことをするのかを冷静に、かつ正しく判断し、理解できるからである。

この様なあわれみには3つの特徴がある。

❶対象が誰であるかを問わない

❷自分自身のことを考えない

❸感情ではなく、行動である。

 さて、神の御子イエスは己を捨て、罪人の救いのために十字架で身代わりの死を選び取られた。まさに、主はあわれみ深さの最高の模範を示されたのである。

 最後に、なぜあわれみ深い人は幸いなのか。それは、その人が隣人にかけたあわれみを超越するあわれみを神ご自身から受けるからである。