「遅延の理由」要約  第2コリント1章23−2章4節 2021.11/28 港キリスト教会

  「遅延の理由」 第2コリント1章23−2章4節

 

 コリントの教会内で問題が生じ、問題解決のために遣わされたテトスを通して、教会の人々が自らの非を認め、パウロの真意が理解されたという良い報告を聞き、パウロは非常に喜ぶが3度目の訪問が遅れたために教会内で少数の反対勢力による非難があった。

 今回は教会訪問の遅延の理由とパウロの真意について学ぶ。

Ⅰ.積極的な理由 (23節)それはパウロの思いやりであった。

 パウロは、コリントの教会内の悔い改めない反対勢力のために、悲しみが増すなかで手紙を書いた。手紙には、憤りを持ったまま訪問せず、自分の気持ちを冷静に伝え、手紙を受け取る側も考える余裕を持てるという利点があった。

 さて、訪問が遅れたために教会の中でパウロはあれこれと非難されたが、遅延の理由が教会の人々に対する思いやりであると弁明した。

 自分を不利な立場に追い込んだ相手を配慮することは容易ではない。彼の思いやり(愛)は、悲しみの中にある教会が喜びの教会となることを心から願う心に見出せる(24節)。

Ⅱ. 消極的な理由(1―3節)それはコリント教会の人々を悲しませたくないこと、パウロ自身も悲しみたくないためであった。

 2度目の訪問は、悲しみの訪問となった。それは、神の前において悔い改めない人々に対する悲しみであり、その悲しみは悔いが残り、希望や慰めや喜びのない悲しみであったが、パウロの訪問が遅延したことで非難した人々に悔い改めの機会を与えた。

 

Ⅲ. 最大の理由(4節)それはパウロの動機にあった。

「それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知ってもらうためでした。」(4節)

 パウロがコリント教会のために涙し、悲しみ、悩み、苦しんだ最大の理由は、それはパウロがコリントの教会を心から愛していたからである。

 パウロの愛はすぐにさめてしまうものでなく、普遍的かつ不変で、犠牲的な愛であった。それは、十字架刑による激痛の中で、人々をののしらず、赦され、とりなしを祈られたイエス・キリストにあるアガペの愛なのである。

 イエスへの信仰は、聖書にある真実の愛を学ぶだけでなく、その愛を体験し、そして実践する可能性と力を秘めているのである。