私たちの舌は、味覚、食べ物の咀嚼と食道に押し入れ、唾液を出して消化を助ける。そして、舌は人との会話するための大切なツールである。しかし、その扱いを間違えば大変な災いをもたらす。
力ある馬の小さなくつわ、巨大な船を制御する小さな舵は、進むべき方向に制御するために用いられる。舌も小さな器官だが、制御ミスをすると大変なことになる。舌は森全体を燃やす小さな火のようである。小さな火種がやがて大きな炎になり大火事になる。
舌も小さな器官だが、しばしば人を欺き、偽りの道具となり、人を汚し、その人の人生を大きく狂わせる恐ろしい道具になる。人間はいかなる動物をも制するが、小さな舌を制御することは不可能である(1-9節)。
さて、けさの聖書箇所でのヤコブの真意(伝えたいこと)とは。それは、同じ口から賛美とのろいが出るということがあってはならないということである。
宗教改革者カルビンは「本当に神様を礼拝し、賛美する者とされた者は、人を中傷することを恐れる者となるだろう。」と言っている。
神に背き、罪を犯した人間は、一方で神を崇めつつ、他方で人を名指しでさばき、中傷するという罪を犯す。しかし、神を知らない人が人を中傷し、悪口を言うことよりもなお偽善に満ちる悲しい状態であることを、ヤコブが教会の信者に伝えたかったことではないだろうか(10-12節)。
神をほめたたえる舌だからこそ、人とのコミュニケーションを大切にしたい。