「信仰と宗教」 ヤコブ1章19-27節 要約 2021.6/27 港キリスト教会

       「信仰と宗教」                ヤコブ1章19-27節

   今回は、まことの信仰と宗教とはどの様なものであるかを学びましょう。

 

真の信仰はたましいを救うことができる(19-21節)

「みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」(21節)

 では、みことばはどのようにしてたましいを救うのか。それは、聞いたみことばを素直に受け入れるなら魂が救われるのである。「あなたがたが信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。」(ペテロ第一1章9節)

 

真の信仰は聞くだけでなく行いが伴う(22−25節)

 ヤコブは、みことばを聞くだけではなく実行する人になりなさいと勧める(22節)。鏡で自分の姿を見ても、すぐに忘れる(23、24節)人とは、みことばを聞いて感動しても、しばらくするとその感動が薄れ、行動が伴わない人であり、その様な人は「すぐに忘れる聞き手」であると戒める。

 宗教改革者カルビンは、「真の幸福は教えを行なうことにあり、実行せずに冷ややかに聞くことではない。」と語る。

 

真の宗教は聖さを求める(26,27節) 

 パウロは「神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。」(テサロニケ第一4章3節〜7節)と語る。聖さとは神の聖さであり、この聖さと信仰の熱心さとは区別される。信仰について多くを語る人が必ずしも熱心な信仰者ではない。

 ヤコブは「自分の舌を制御せずに、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしい…。」(26節)と注意を促す。

「自分の舌を制御せず」とは、自分の舌を押えることができない人で、そのような人は神様の御思いを知る前に、自分の思い(知識)が優先し、神様の御思いを見過し、見失いやすい。

 神の御前で沈黙は大切である。カルビンは「沈黙のうちに聞くのでない限り、神の良い弟子になることは出来ない。」と語る。

 

 世界においてコロナパンデミックの終わりが見えない。かつて疫病蔓延時には、人々は神に祈願しつつ、パンデミックを乗り越えて来た。

 今日は、神仏頼みよりワクチン頼みという科学万能主義の時代になりつつある。多くの人々の宗教離れが進む中で、キリスト者はますます神と共に生きる者でありたい。