「人を分け隔てしないように」ヤコブ2章1―13節
聖書は、人を分け隔て(えこひいき)してはいけないと教える。
その第1の理由は、イエス・キリストを信じる信仰を持っているからである(1節)。人をえこひいきしない、人をさばかない、人を赦すという行為は「自分自身を愛するように隣人を愛せよ」(8節)とのキリスト信仰の実践なのである。
次に、人をえこひいきしてはいけない第2の理由は、罪だからである。「もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。」(9節)人をえこひいきすることは罪であり、神様はその罪を見逃されないだけでなく、蒔いた罪の種は必ず刈り取らなければならない。その刈り取りとは、「あわれみを示したことのない者に対しては、あわれみのないさばきが下されます。」(13節)である。
しかし、ヤコブは神のさばきを受けることが第1の願いではなく、えこひいきの罪に気づかず、口先だけで良い子ぶっている信徒に危機感を抱く中で、それらの人々が悔い改めることを願っているのである。
最後に、人をえこひいきしてはいけない第3の理由は、人(隣人)に対して苛酷であってはいけないからである。「自由をもたらす律法によってさばかれることになる者として、ふさわしく語り、ふさわしく行いなさい。」(12節)での「自由をもたらす律法」とは、律法の厳しさから解放されたという意味で、それは神の寛容によるものであり、キリストの十字架による罪の身代わりという苛酷な犠牲によって得たものである。
もし、あなたが厳しい律法のさばきをこうむりたくないなら、隣人に対して苛酷(差別、いじめ、ないがしろにする、暴力的等)であってはならないというのが13節と12節の真意ではないだろうか。