「良心の声と福音」 ローマ書2章12―16節  2020年9月20日(日)港キリスト教会

     「良心の声と福音」 ローマ書2章12―16節

 良心の声は、人が罪を犯すことから守るという役目を持ち、そして、神の福音は人の罪を赦すという役目(力)を持っていることについてみことばから学びましょう。

 まず12節〜15節には神の律法を持っているユダヤ人の罪に対する神のさばきについて、そして、律法を持たない異邦人の罪に対するさばきについて書かれている。この箇所では、罪による神のさばきから逃れる者はだれひとりいないということを教えている。

 では、死刑以上の厳罰である神のさばき(永遠の滅び)を逃れることが出来ないとは何か。罪とはギリシャ語で、「ハマルテイヤ」であり、それは「的外れ」という意味で、放たれた矢が標的の範囲から外れているという意味を持つ。では、この標的の範囲とは何か、それは聖書の基準そのものである。聖書は「カノン(キャノン)=聖典」とも言われ、その意味は「基準・法則・領域」というものである。つまり聖書の教え(行動の規範・基準)から外れた生き方こそが罪である。

 さて、聖書に書かれている律法を持つユダヤ人は、律法(規範・規則)を守り行なうことによって正しい(義)とされ(13節)、律法を持たない異邦人は、自分自身の良心の声が律法の代わりとなるが(14節)、律法や良心を完全に守れる人はいないだけでなく、そのような生き方は罪人である人間にはできないだけでなく、律法によるさばきの代わりとされる良心の声でさえ、人が罪を犯すことから守るという役目を持っているとしても、罪を犯さないようにする役目は持っていないのである。   

 結論:私たちが罪を赦されて救われるために、律法を完全に守り行うのか、あるいは良心の声に対して何の咎めもない生き方をするのか、あるいは、自分の罪を認め、心から悔い改めて福音イエス・キリストは救い主である)を信じて完全に罪を赦されるかのいずれかである。