「寛容、慈悲、謙虚について学ぶ」 ―信仰によるヨセフの品性― 2020.6/21 港キリスト教会

「寛容、慈悲、謙虚について学ぶ」

 ―信仰によるヨセフの品性― 

 兄たちは、当時17歳のヨセフをエジプトの奴隷として売った。ところが、兄たちに再会したヨセフは、彼らに対してどのような態度を取ったのか。

 まず寛容であった。ヨセフは、兄たちの悪事を一日も忘れることはなかった。しかし、ヨセフは兄たちへの恨みや辛みどころか、懐かしさゆえに、「もっと近づいて下さい」と寛容な心を示した。自分に被害を加えた者に対して恨みはしても、寛容であるのは容易ではない。しかし、ヨセフは、いかなる時も余りある神の祝福を体験する中で寛容という良き品性が身に付いたのでないだろうか。

 次に、深い慈愛であった。ヨセフは、「私をここに売ったことで、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。」(5節)と、兄たちの心境を察して、いたわりの言葉を語った。それは、兄たちが自分たちの犯した罪に対して、悔い改めたからである。慈愛とはその人の立場に立って考え、その人の最善を願い、それを行なうことである。それは、父なる神のうちに見ることが出来る。罪人の側に立ち、罪人の救いのために、御子をこの世に送って下さり、御子は私たちの罪の身代わりによる十字架の死を遂げられた。このような慈愛を超えるものが他にない。

 最後は謙 虚であった。ヨセフは、「私が奴隷になって苦労し、辛かったことも、みんな、神のお考えがあってのことで、それは、やがて父ヤコブの家族を大きな飢饉から救うためであったのです。」と答えた。ヨセフもまた、色々な事が自分の身に起こったが、そこには神の目的、また計らいがあると堅く信じていた。

 私たちも神の御手の中で自分の人生が導かれていると信じて歩むなら、たとえ嘆き悲しみ、辛いことがあっても、あきらめ、自暴自棄、落胆し過ぎることはないのです。

「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」(ローマ書10章11節)