「神に祝福される人」創世記28章1―22節 2020.1.26 港キリスト教会

    「神に祝福される人」創世記28章1―22節

 旧約聖書にある「祝福」とは、人生における様々な局面から救われるために力が付与されるという原意がある。家庭内に問題がある最中、弟ヤコブは父イサクによって再度祝福された。

 ところが、兄エサウは自分が両親にとって不都合な存在であることを知った。何よりも異教の女性を妻にしたことが両親にとって辛いことであると知った。

 エサウの反省のない衝動的で短絡的な行動は、神の祝福を自ら遠ざけてしまった。エサウのなすべきことは、後悔ではなく悔い改め(方向転換)であった。

 さて、家を追われたヤコブは、ある日夢を見た。神はその夢によってヤコブを祝福された。その祝福を果たすために、神はヤコブと共にいて、決して見捨てないと約束された。ヤコブは夢によって慰められ、励まされただけでなく、信仰も確かなものとされた。

 さて夢から覚めたヤコブは石を取って石の柱を造り、そこをベテル「神の家」と呼んだ。

 私たちも人生において、様々な悩み、悲しみ、苦しみといった重荷を負うことがある。しかし、神を信じる私たちにもヤコブの信仰が確かにされた「神の家」がある。

 それは、「神から受けた聖霊の宮」(第一コリント6章19節)であり、主を信じるすべての者に内住されるお方である。聖霊は私たちを励まし、慰め、力づけ、平安を与え、導いてくださり、信仰の確信を与えて下さる。さらにヤコブは、「石の柱を立てたこの石は神の家となります。すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたにささげます。」(22節)と献身の決意を表した。

 私たちも神の祝福に預かっている者として、神とともに歩み、神にささげ、神に仕える思いを今一度心新たにしたい。

パウロは「信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受ける。」(ガラテヤ3章9節)と語っている。

 つまり、神に祝福される人とは、信仰によってアブラハムの祝福を(霊的な祝福、物質的な祝福)受ける人のことである。