「心の闇を照らす救い主イエス」 クリスマス礼拝 ヨハネ12章35、36節 2019.12.22 港キリスト教会

 「心の闇を照らす救い主イエス」 

            ヨハネ12章35、36節 

 

 イエスの弟子ヨハネは、イエスは光としてこの世の闇を照らすために、この世界に来られた神の御子であると証言している。では、この世の闇とは何か。

 第1に満たされない(虚しい)という心の闇です

 有名なパスカルは「人には埋めることのできない、ぽっかりとあいた心の空洞がある。そして、その空洞は神によってでしか埋めることができない。」と言った。イエスは「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7章38節)と言われた。虚しく、満たされないという心の闇は、心に迎え入れたキリストの光によって解放され、神の平安で心が満たされる。

第2に明るみに出されることを恐れるという心の闇です

主イエスは、「おおわれているもので、現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。ですから、あなたがたが暗闇で言ったことが、みな明るみで聞かれ、奥の部屋で耳にささやいたことが、屋上で言い広められるのです。」と言われた(ルカ12章2、3節)。誰にも知られたくない、隠しておきたい心の闇はキリストの光に照らされるなら、さばかれることなく、隠された心の罪は赦される。「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世(私たち罪人)が救われるためである。」 (ヨハネ3章17節)

第3に生死の意味が分からず、死を恐れるという心の闇です

人は何のために生まれて来たのか、また何のために生きるのかという真の意義を見出せない限り、いのちの尊厳は軽んじられ、死の問題について何の解決も見出せずに、恐れと不安を持って死を迎えなければならない。神の御子キリストは、永遠の死をもたらす罪を取り除くために十字架で死なれ、死から三日目によみがえられた。「わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」(5章24節) さらに、キリストは神の御国に行く道を示された。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなかれば、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネ14章6節)

死という心の闇は、キリストの光によって打ち破られた。この知らせがクリスマスであり、そしてクリスマスをお祝いする所以(ゆえん)である。