「奇しき神様の導き」要約 創世記24章15―27節 2019.11/24 港キリスト教会 

     『奇しき神様の導き』 創世記24章15―27節

  およそ700キロ? の長旅を無事に終え、イサクの嫁探しに来たしもべは、現地に到着するとすぐに神に祈った。そして、その祈りは即座に答えられた。こうして彼がまだ言い(祈り)終わらないうちに、リベカという女性が水がめを肩に載せて来た。まさに、神の奇しき導きを感じる。とはいえ、その若き女性が、神が導いておられるイサクの嫁であるかどうか、しもべには分からなかった。しかし、しもべが具体的に祈った通りの出来事が起こった(17−20節)。では、しもべの具体的な祈りとはどの様なものだったのか。それは、イサクの嫁は、心やさしく、よく気がつき、機転がきき、またしっかり者であるという内容だった(18,19節)。

 神は、即座にその祈りに答えてくださった。さらに、しもべは慌てず、冷静に、黙ってリベカさんを観察したという行動に、主のみこころを知るためのヒントがある。それは、状況を主観的ではなく客観的に、感情的ではなく理性的(神の知恵)に、また短絡的ではなく長い目(長期目線)で見ることが(難しいのですが)みこころを知る上での大切なポイントではないだろうか。その後、リベカさんはしもべとの出会いのいきさつを、家の者に告げた(28節から)。それを聞いた兄ラバンは急いでしもべのところに行き、しもべを家に迎えた。

 そして、ラバンはしもべに、「主に祝福された方」(31節)と言った。これは、神がこのしもべのうちに力強く働いておられる様を見て語った言葉ではないだろうか。このしもべは、ご主人アブラハムに託されたイサクの嫁探しのために全身全霊で、自分のことを顧みず、ひたすらご主人との約束を果すために、神の導きを祈り求めていたところに、神が目を留めて下さったのである。「知れ。主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。」(詩篇4篇3節)

 神と共に歩む人は「主に祝福された人」である。神は、いつでもどこでも神を信じる者と共にいてくださり、いかに小さな者、弱い者、たとえ罪深い者であっても祝福して下さる。

 さて、アブラハムの信仰に育てられたしもべが、神の導きを知るために全身全霊で祈り、主人アブラハムのために自分自身を献げた結果、神はイサクの嫁としてリベカを導かれた。しもべの信仰を通しての祝福は、リベカの家族にも及んだ。ひとりの人の信仰が祝福されることによって、その人に関わる人たちに祝福が及んで行くのである。私たちもしもべに倣い、身近な人々に祝福が及ぶになりたいものである。