「神のいつくしみと厳しさ(Ⅱ)」創世記3章21−24節 2019.5.12 港 

 「神のいつくしみと厳しさ(Ⅱ)」創世記3章21−24節 

  21−24節にて、神は私たちに良いものを下さるお方であることを学びましょう。神が下さった1つ目の良いものとは皮の衣である(21節)。彼らは、自分たちが裸であることを恐れ、とりあえずイチジクの葉で腰を覆った(7節)。しかし、それはすぐに傷み、腐ってしまう不完全なもの。彼らが罪を犯した結果、生来の完全さを失い、不完全さというハンデイを背負って生きるものとなった。ところが、神は彼らのために皮の衣を作られた。皮は丈夫で、長持ちし、感触も良い。神は、彼らのためにベストなものを与えられた。神は、動物を殺して彼らに皮の衣を用意された。これは、神の御子が全人類の罪の身代わりになられて十字架で血を流され、ご自身のいのちを犠牲にされた雛形でもある。

 次に、2つ目の良いものとは何か。アダムが罪を犯した結果、神は人が永遠に生きるという尊い祝福を奪われた。それは、「善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」という神の命令にアダムが従わなかったからである。その結果、2人は善悪を知るようになり、自分の行動についてはすべて自己責任が伴う。そして、いのちの木によって永遠に生きることができた者が、生きるために食べるものを労苦して得なければならない。それゆえに、人生において様々な労苦が伴い、その終着点は、肉体の死と神から永遠に離されるという魂の死である。しかし、そのような人間に対して、神は2つ目のプレゼントを下さった。みことばによる救いの約束とみことばによる励ましである(22節)。

 2人はエデンの園から追放され、祝福された豊かな生活を失った。しかし、神からの素晴らしい3つ目のプレゼントがある。それは、③神と人との関係の回復である(24節)。ここで注目すべきことは、エデンの園は今も神の御手によって守られている(24節)。その理由は、イエス・キリストによる救いに預かっている者は、将来回復されたエデンの園に入ることができる。それは、地上の千年王国神の国において実現する。アダムとエバが罪を犯した結果、失ったものは計り知れない。しかし神によって頂いたものは、それ以上に計り知れないものである。

「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記1章21節)