「確かな人生の拠り所とは?」―主に身を避けよ― 詩篇11篇1~7節 2019.1.6 港キリスト教会

   「確かな人生の拠り所とは?」―主に身を避けよ― 詩篇11篇1~7節 

先行き不透明なこの世において、確かな人生の拠り所が詩篇11篇の中にある。ダビデがサウル王にいのちを狙われ、迫り来る危険の中、ダビデの支持者たちは、悪が正義に立ち向かい正しい者(ダビデ)が殺される。だから山に逃れるようにとダビデに助言した。これは―正義を拠り所にして生きている者から正義が奪われるなら、いったい何を頼りにして生きるのか―という助言である。 

 しかしダビデは、「私は主に私は身を避ける」と告白した。ではダビデが厳しい状況の中で身を避けた神とはどのようなお方なのか。

第1に神はすべてのことを見通される超越者である(4、5節)。「一寸先は闇」。まさに人は近視眼的な存在である。人類は科学の進歩により不可能と思えるようなことを克服して来たにも関わらず、今尚一寸先を見ることも知ることもできない。しかし、万物の創造者である神は超越者であり、ご自身のことばである聖書を通して、未来を見通され(預言)、人が歩むべき道を示された。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119篇105節)

第2に神は唯一の審判者(さばき主)であり義なるお方である6、7節)。

「主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る」(7節)とダビデは逃避しても真の解決はないことを信仰によって捉えていた。

ゴルゴダの丘に三本の十字架が立っていた。真中には私たちの罪を背負われたイエス。両側には極悪人。ひとりはイエスをののしり続けた。

 ところが、もうひとりの極悪人は信仰を持ってイエスを仰いだ時、イエスはその極悪人に「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイス(天国)にいます。」と約束された。

 極悪人は、悲惨で哀れな人生の最後において、確かな拠り所が目の前の主イエスご自身にあった。極悪人にとってイエスに身を避ける(信頼)ことが、完全な救いと義と天国の約束を得るただ一つの方法であった。

 緊張と不安がますます高まる世界情勢の中で、セーフテイーゾーン(安全地帯・安全地域)はどこにあるのか。それは、主に身を避けて生きることではないか。主に身を避けるとは、主に信頼して行くことである。

 神様抜きのこの世の教え、自分の力、自分の思い、自分の考えだけに頼って生きるなら、早晩、そこは安全ではなく危険な領域であると悟るべきではないだろうか。「神その道は完全。主の言葉は純粋。すべて主に身を避ける者の盾」(詩篇18篇30節)