「神への聖別」
マタイ22章15−22節
パリサイ人たちは、イエスを罠にかけようと企み、税金について詰問した。そこで、イエスは「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」と答えられた。イエスのおことばから3つことが教えられる。
イエス、あるいはパウロの時代は、ローマの支配による独裁的な皇帝やクリスチャンを迫害した皇帝も数多くいた悪政の時代であった。
しかし、神のみことばは納税の義務を果たすようにと勧めている(参照:ローマ書13章1-7節)。
みことばは、クリスチャンたちに一致団結して主権者に抵抗するのではなく祈りという神の武具を用いるようにと教える。
2.神への聖別について(神のものは神に)
イエスは不条理な社会を転覆するために、この世界に来られたのではなく十字架の死によって人類を救うために来られた。
そのために、父なる神は御子イエスを聖別された。そして、聖別されたイエスを信じる者は神の子どもとなる。
それゆえに、私たちは感謝しつつ神を礼拝し、喜びつつ神に仕え、心から神に献げる者でありたい。
3.神のご支配について
使徒パウロは当時のクリスチャンたちに、権威者(時には独裁者)の支配下にあっても、御霊に支配され(満たされ・励まされ)、この世と調子を合わせるのではなく、神に喜ばれることは何かを心に留め、神の栄光を現わして生きるようにと、当時のクリスチャンたちに勧めている。(参照:ローマ書12章2節)。
以上の学びより、立派なクリスチャンを目指すことを勧めるものではない。信仰者は世にあっては信仰の戦い(患難)がある。また、罪の力によって信仰が振るわれる。
しかし、神に祈り、みことばに励まされ、イエスにより頼んで生きて行く中で、神の子どもとして聖別されているという実感が沸き起こるのではないだろうか!