「心を一つにして祈るなら」 マタイ18章18-20節 2023.12/3 港キリスト教会

 「心を一つにして祈るなら」

 

               マタイ18章18-20節

 

 教会戒規に触れる罪を犯した信徒の問題解決のための教会の祈りとは。

祈りは神と教会を繋ぐツール(18節)

 神様はご自身の権威を信徒にではなく教会に与えられた(18節:下の注釈)。

 自己本位に陥りやすい私たちは、祈りによって神様としっかり繋がっていることで権威によるミスリードから守られるのである。

 

祈り手は数よりも質(中身)(19節)

 戒規に触れる罪を犯した信徒をさばく前に、悔い改めへと導かれるように執りなすことが最善(愛)の行為である。

 そのために、神様の前にへりくだる祈り手(二人)が求められている。それが「あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」(19節)とのイエスのお言葉ではないだろうか。

 

祈りは教会(信徒)の霊性を高める(20節)

 罪を犯した信徒への聖書的アプローチで解決できない場合は、教会全体の問題として公に取り扱う。それでも悔い改めないなら、異邦人か取税人のように扱う(除名処分)

 その結果、教会は薄情で厳し過ぎるといった批判が起こり、場合によっては教会が分裂することもある。除名処分を教会が正しく受け止めるために大切なことがある。

 それは教会の霊性である。霊性聖霊による)は、信徒一人ひとりがみことばを正しく学び、学ぶだけでなくみことばに聞き従い、信仰と祈りの実践の中で身に着くものである。