「イエスの説教(Ⅱ)」要約 ー柔和な者の幸いとはー  マタイ5章5節 2022.6/19 港キリスト教会 

 「イエスの説教(Ⅱ)」

ー柔和な者の幸いとはー   マタイ5章5節  

 

 イエスが山上にて話された柔和、そして柔和な者の幸いとは何かを学ぼう。

 柔和とは「優しい、おとなしい、謙虚」と訳されている。しかし、この「柔和」は3節と4節との関わりの中で理解する必要がある。

「心の貧しい者」(3節)とは、信仰なしでは生きられない無力な存在であることを自覚し、

「悲しむ者」(4節)とは、自分は罪深い者であり、神の憐れみがなければ生きられない者であるという自覚を持った者こそ柔和な者になれるという繋がりがある。

  つまり、主が語られた「柔和な者」とは神を信じている人であり、ここでの柔和とは性格というよりも、霊的なものに属し、それは神によって新しく造り変えられた者に現れる品性である。

「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ5章22節)

 実は、この柔和はイエス・キリストのうちに見ることができる。

「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。」(第一ペテロ2章22―24節)

 イエス・キリストこそ柔和な人の最高の模範である。不義を行なう者を戒めることができるお方が、不義なる者によって十字架にかけられ、悲痛な苦しみに耐え、罪のために永遠の刑罰を受けなければならない私たちのために身代わりとなられた。ここに柔和とな何かの最高の模範がある。

 イエスが語られた柔和は、聖霊の働きによって身に付く品性であり、信仰者に宿る聖霊の働きによって付与されるのである。それを可能とする秘訣は、日々聖霊を求め、聖霊に満たされなければならない。

 では、柔和な者はなぜ幸いなのか。それは、地を受け継ぐからです。地を受け継ぐとは、この世にある物質的な繁栄や富を与えられることではなく、神の豊かな恵みの中に生かされることである。