「イスラエル誕生の秘話」 要約 創世記32章1-32節 2020.1/6 港キリスト教会

   「イスラエル誕生の秘話」

   −ヤコブからイスラエルへ− 創世記32章1-32節

  ヤコブは、伯父ラバンのもとで20年間仕えた後に、カナンの地に帰るようにと神に命じられた。しかし、帰郷はエサウとの再会が避けられず、ヤコブにとって恐れと不安が伴うものであった。

 そこで、ヤコブは使者をエサウのもとに送り、彼の多くの所有物をエサウに見せて積年の怒りをなだめようと姑息な方法を考えた。かつて、長子の権利をエサウから騙し取ったヤコブのずる賢い手口を思い起こす。さて、エサウヤコブを迎えるために400人を引き連れて来るという使者の報告を聞き、ヤコブは非常に恐れ、不安に包まれた。

 それで、ヤコブは神に祈ったが、彼はまず行動、そして切羽詰まると祈るという信仰の持ち主のようだが、祈った後も、姑息な手段を用いてエサウとの再会に備えていた。

 ところが、兄エサウとの再会前日の夜、ヤコブはある人(神)と格闘した。

 さて、この出来事の意味と意義とは何か。それは、ヤコブは兄エサウとの再会の前に、そしてカナンの地に帰る前に彼の肉性が砕かれる必要があった。

 ①まず、神ご自身が人の姿をとってヤコブと夜明けまで格闘されたのは、ヤコブはこれまで、自分の能力や知恵や考えで、様々な局面に対処して来た。しかし、これからは自分の力のみで生きるのではなく、神と共に生きる大切さを教えるために、神はヤコブと格闘されたのではないか。

 ②次に、神がヤコブに勝てなかったとは、神が負けられたという意味ではなく、ヤコブがあくまでも引き下がらないために、神の方から身を引かれたのではないか。確かに彼の肉の力は強いということは証明されたが、力任せの生き方は早晩行き詰まるのである。これからは神に信頼し、神に委ねて生きる大切さを教えるためではないだろうか。

 ③次に、神がヤコブのもものつがいを打たれたことこそ、あくまでも自分の力で生きようとするヤコブを砕くためであったと思われる。ヤコブは神に打たれた足を見るたびに、自分がいかにもろく、弱い者であることを認識したはずである。ヤコブはぺヌエル(神の面前)という一夜の経験により肉の人から霊の人へと変えられた。その結果、彼の名をヤコブ(押しのける)からイスラエル(神と戦う)と改名された。

 さて、私たちも人生における様々な出来事の中で練られ(訓練され)、試みを経験していく中で肉なる人が砕かれて、私たちの信仰はたとえ時間を要したとしても着実に成長させて下さるのである。