「義に飢え渇く者は幸いです」要約 ―義を大切にして生きるー マタイ5章6節 2022.6/26 港キリスト教会  

 「義に飢え渇く者は幸いです」 

―義を大切にして生きるー 

マタイ5章6節 

   聖書が教える「義」、「義に飢え渇く」、そして、「義に飢え渇く者の幸い」とは何かを学ぶ。まず6節の「義」とは、英訳では「正しさ、公正、実直」と訳し、原文(デカイオスネー)は「不義や罪が一点もない。意思と思いと行動において神の意志に合致し、実生活の隅々まで、神の正しさの原理が及んでいる」と訳している。

 つまり、この「義」は神ご自身の正しさやご意志で、「義に飢え渇くと」とは、生き方の焦点を義なる神に合わせることである。それは、神のことばである聖書に焦点を合せて生きることでもある。

 上記のように、義なる神と正しい関係を保って歩みたいという強い願望が、「義に飢え渇く」ことであり、そのような者が満ち足りるとイエスは教えられた。

「『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。』イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる聖霊について、こう言われたのである。」

ヨハネ7章37−39節)  

 適 用=「義に飢え渇く」とは、みことばを聞き、みことばに従いたいという強い願いであり、それらを実践する時に、助け主である聖霊は、私たちのたましいを満たし、励まし、助け、最善を導いてくださるのである。