「私たちを祝福へと導いて下さる聖霊」(要約)エペソ5章19-21節 港キリスト教会 2019.2.24

 「私たちを祝福へと導いて下さる聖霊」エペソ5章19-21節  

  聖霊は、信者の心に内住される。それは、聖霊による祝福された信仰(教会)生活を歩むためである。ところが、聖書は聖霊の内住と聖霊の人とを区別する。たとえばガラテヤ5章16節で「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。」と書かれている。ここで、クリスチャンなら肉の欲望に負けないと言うのではなく、御霊に満たされて歩むなら、肉の欲望から身を守ることができるということである。つまり、御霊の人とは御霊が内住されているだけでなく御霊に満たされている人のことである。

 ①信者が聖霊に満たされることにより礼拝と交わりが祝福される(19節)。礼拝と交わりの祝福を妨げるものは罪である。罪は、妬み、恨み、悪口、陰口、偽りといった様々な形態をとり、さらに目に見えないサンタや悪霊たちの惑わしによって、礼拝と交わりを壊そうとする。私たちの肉の内に働く罪の力やサタンや悪霊たちの働きから守られるために聖霊の力が必要である。

 ②神様に感謝するために聖霊の助けが必要である(20節)。クリスチャンの特性の一つに神への感謝がある。ところが神様を信じていても、不平、不満、つぶやき、また感謝が足りないと思うことがある。しかし、人生の苦難や逆境において感謝するために聖霊の助けが必要である。そのためには神様への全き明け渡しが求められる。

 ③キリストを恐れ尊ぶために、互いに従い合うために、聖霊の導きが必要である(21節)。神様を正しく知ってこそ、神様への真実な恐れとなる。そのためには、聖霊の導きを求めなければならない。次に互いに従うとは、謙遜、忍耐、やさしさ、争いを好まぬ態度という意味があり、他の訳では「互いに相手を立てる」「互いに仕え合うべきである」と訳している。お互いに従うためには聖霊の導きが必要である。

 礼拝が祝され、互いの交わりが祝され、神への感謝、神への恐れ、神への従順、人への従順は聖霊の助け・力・導きが不可欠である。